成田市御案内人活動報告

2018年9月16日(日)
第四回成田市歌舞伎講座「歌舞伎俳優の世界」

市川宗家と成田市の絆の深さを、日本の伝統芸能・文化を通して学んでもらうことにより「歌舞伎のまち成田」の魅力やその取り組みを発信することを目的に行われた歌舞伎講座。
平成30年度最後の歌舞伎講座は、第五回成田伝統芸能まつりを記念したスペシャルトークショーとして歌舞伎俳優の市川九團次さんをお招きし、「歌舞伎俳優の世界」と題し歌舞伎の魅力を余すところなくお伝えしていただきました。講座の内容の一部をご紹介いたします。

市川九團次

1972年生まれ、千葉県出身。1998年大阪松竹座で坂東竹志郎を名乗り初舞台。2005年、四代目坂東薪車を襲名する。2014年に市川海老蔵門下となり、市川道行を名乗る。2015年1月に新橋演舞場『石川五右衛門』のヌルハチ役で四代目市川九團次を襲名。屋号は高島屋。

スペシャルトークショー

さっそく市川九團次さんのスペシャルトークショーが行われました。

素敵な浴衣ですね。

九團次さん:よく気がつきましたね。(笑)実は今日、この日のためにおろした浴衣です。
この浴衣は蜻蛉(とんぼ)の柄になっていて、蜻蛉は勝ち虫と言われ、不退転の精神を表し、常に前進あるのみと昔の武将が好んで身に着けた非常に縁起が良いと言われているものです。今日は成田市に縁起を担いで着てきました。

歌舞伎のまち成田という事で何度か成田市に足を運ばれていらっしゃいますか

九團次さん:海老蔵一門に入って4年になりますが、成田市に来る機会は非常に増えました。歌舞伎公演で度々来させていただいたり、大晦日の夜に成田山新勝寺に来て新年を迎えるなど、成田とのご縁は非常に大きいですね。

歌舞伎俳優になったきっかけは

九團次さん:幼少の頃から俳優になりたいとは思っていましたが、歌舞伎俳優になったときは26歳と非常に遅い年齢からのスタートでした。
高校卒業時に進学か就職かと迷っていた時に幼少の頃からの夢だった俳優を目指すことにしました。
いろいろなオーディションを受けて、タレントや現代劇の俳優などを目指し様々な稽古をしていましたが、その時に浴衣を来て帯を締めてお稽古をすることが凄く気持ちよく、和の文化にどんどん惹かれ、時代劇の道にも興味をもち、いろいろな公演を重ねながら、スーパー歌舞伎に出演したことがきっかけで歌舞伎の世界に進むこととなりました。

海老蔵さんの素晴らしいところは

九團次さん:海老蔵さんは人間離れしていると言いますか、まさに超人的ですね。時間を無駄にしない方なので秒単位で1日のスケジュールが決まっているのではないかと思ってしまうぐらい凄い方です。
本当に忙しいのに舞台のセリフを完璧に覚えてこられて、とても尊敬しています。

海老蔵さんとともにお忙しい日々を送っているかと思いますがお休みはありますか

九團次さん:今年は・・・本当に休みがないですね。歌舞伎座での舞台だけでなく、地方公演や自主公演の「九團次の会」などで、毎月様々な演目に挑戦しています。直前の舞台が固まってない中で、その先の次の舞台の勉強をしなければならないため準備がいつもあわただしいですね。
ただ、歌舞伎は伝統芸能であり、決まっている事も多く、誰と行っても短期間で舞台を作り上げることができます。
短期間のお稽古で本番を迎えるので、舞台の初日は本当に緊張しますが、できた時の喜びは大きいですね。

スペシャルトークショーの後は役の作り方についてレクチャーしてくださいました。
女方の時の歩き方や姿勢の作り方、お金持ちの若旦那、鳶や左官屋、侍など歩き方ひとつで様々な役どころを表現できるそうです。
こうした表現も口伝で伝えられ、修行中に学んでいくものだそうです。

歌舞伎体操

「歌舞伎体操」は、歌舞伎の侍や武士を表現する大きな動きを取り入れて作られたそうで、小泉市長をはじめ4名の方に舞台に上がっていただき一緒に体を動かしました。

立廻り

最後は参加者のリクエストで再び小泉市長が登壇し、歌舞伎の醍醐味である立廻りを、詳しい解説をまじえ共演していただきました。
立廻りは決まった動きの組み合わせでできており、今回はその中でも代表的な「山形」、「唐臼」、「天地」などを市長と一緒に披露してくださいました。

参加者の声

〇トークがとてもすばらしく話がわかりやすかった。歌舞伎をぜひ拝見させていただきます。
〇九團次さんは、まじめでお優しいお人柄のおかげもあり、とても楽しかったです。
〇来年も楽しみにしています。

九團次さんのブログにも今回の講座についてご紹介していただきました。
https://ameblo.jp/akimoto-michiyuki/day5-20180916.html