成田市御案内人活動報告

2019年8月31日(土)
第3回成田市歌舞伎講座「歌舞伎の音楽」

昨年もご好評をいただきました歌舞伎の音楽。今年も歌舞伎囃子方の田中傳次郎(たなか でんじろう)さんをお招きして、第3回成田市歌舞伎講座「歌舞伎の音楽」を開催しました。
講座の内容の一部をご紹介いたします。

田中傳次郎さんは、能楽葛野(かどの)流大鼓方で人間国宝の亀井忠雄さんを父に、歌舞伎囃子田中流前家元・九代目田中佐太郎さんを母に持ち、94年「七代目田中傳次郎」を襲名。市川猿翁歌舞伎やスーパー歌舞伎、復活歌舞伎狂言の作調を多数手がけるなど、歌舞伎囃子方の第一線で活躍されています。

講演の冒頭、『連獅子』より「髪洗い」という部分を演奏していただきました。歌舞伎舞踊の石橋物(しゃっきょうもの)において、獅子が毛振りをする場面で演奏されるものです。

歌舞伎囃子方とは

歌舞伎囃子には、舞台上に並んで演奏する「出囃子(でばやし)」ものと、舞台下手側の黒御簾(くろみす)の中で演奏する「蔭囃子(かげばやし)」ものとがあります。

「田中」も芸名です。「田中流」という、歌舞伎の音楽の中で伝承されてきた流派であり、江戸の歌舞伎の始まりの頃から続いています。

使われる楽器は、能のものとは違うのですか?とよく聞かれるのですが、同じものであり、能の囃子が基礎となり変化していったものが歌舞伎囃子になります。先ほど演奏した「髪洗い」も、能の手法をアレンジしたものです。

小鼓とは?

小鼓(こつづみ)は、胴(どう)と皮(かわ)の部分が分解でき、調緒(しらべお)と呼ばれる麻の紐で締めて張る構造です。持ち歩く際は皮が傷まないように分解して運んでいます。ちなみに小鼓や大鼓など、手で打つものには馬の皮が、大太鼓など、ばちで打つものには牛の皮が使われます。

胴は桜の木でできており、内側にある鉋目(かんなめ)と細くなっている首(くび)によって音が決まります。
鉋目を見ただけで、どの職人が作ったのか分かります。

胴は、元々は烏胴といって黒色で売られていました。当時の持ち主である武士達が職人に頼んで蒔絵を施させたと言われています。
こちらの蒔絵は「錠図蔕梨(じょうずへたなし)」ですが、胴の表面には錠前(錠)、源氏香の図(図)、果物のへた(蔕)、果物(梨)の4つの蒔絵が描かれており、語呂合わせで、誰が使ってもよく鳴る(上手下手無)という意味が込められています。
縁起物としては斧(よき)、琴(こと)、菊(きく)を組み合わせて「良き事を聞く」という蒔絵もあります。

こうした先輩達から受け継いだものを次の世代に残していくこと、演奏の技術はもちろん、精神的なものや楽器も含め伝承していくことが使命であると考えています。

さて、今回は傳次郎さん以外の歌舞伎囃子方の皆様もご紹介いただき、現在における歌舞伎の演奏家達が必ずしも世襲制で構成されているのではないことについてもお話いただきました。

梅屋福三郎さん(囃子方)

福三郎さんは、高校生の時に歌舞伎座で歌舞伎を鑑賞して「なんて素敵だろう」と思ったことがきっかけとなり、高校3年生の時に母親の知り合いであった当時の梅屋福三郎さんに弟子入りしたそうです。

望月太左一郎さん(囃子方)

太左一郎さんは、子供の頃から音楽が好きで、高校卒業時に古典芸能が好きだった母親の勧めで国立劇場養成所に入学したことでお囃子の道に進むことにしたとのことです。

田中傳十郎さん(囃子方 笛方)

傳十郎さんが本格的に笛を始めたのは17歳の時。父親が日本舞踊の師範をされていたことから、中学生までは日本舞踊を習っていたそうです。当時囃子の先生であった笛方の望月長次郎先生に弟子入りし、その後国立劇場養成課を卒業。田中傳左衛門社中の一員となられました。

杵屋利次郎さん(長唄 唄方)

利次郎さんは、三味線方であった父親の師匠から6歳の頃に長唄の手ほどきを受けたそうです。唄が好きだったこともあり中学生の頃に杵屋利光先生に弟子入りをして、長唄の唄方になったそうです。

今藤龍市郎さん(長唄 三味線方)

龍市郎さんは、15歳の時に母方の親戚がやっていた日本舞踊を見に行く機会があり、その時に聴いた三味線の音に感動し、この世界に入ろうと決意しました。その後、今藤長龍郎先生に弟子入りし三味線方となったそうです。

「供奴」の演奏

最後に、「供奴」(ともやっこ)を演奏していただきました。

参加者の声
〇お話はとても参考になり面白かったです。また、これから歌舞伎を観るときにとても参考になりますし、奏者の方のお名前を筋書で探す楽しみが増えました。
〇世襲だと思っていた世界が、興味があればなれることを知り、大変面白く聞けました。演奏も素晴らしく、とても楽しい時間を過ごせました。
〇大変すばらしいものを見せていただきました。ありがとうございます。