成田市御案内人活動報告

2022年3月 5日(土)
第3回成田市歌舞伎講座「歌舞伎の魅力」

令和3年度最後の歌舞伎講座となる今回は歌舞伎研究家の前川文子(まえかわふみこ)さんを講師にお招きし、歌舞伎を楽しむポイントについて解説していただきました。歌舞伎の舞台機構の特長や歴史について理解を深めると、歌舞伎の舞台がより身近に感じられるようになります。講座の一部を紹介します。

舞台の寸法

実際に舞台を観るときにあまり気になることはありませんが、歌舞伎の舞台は能舞台や天井の高い西洋のオペラ劇場などの舞台より横長な造りになっている特徴があります。

幕と花道

幕にも歌舞伎の舞台の特徴の一つがあります。上から降りてくる西洋式の幕と違って、古典歌舞伎に使われる定式幕(じょうしきまく)は横に引き開けます。定式とは「いつもの」というほどの意味です。墨色・柿色・緑色の三色になっています。
日本人なら誰でも知っている花道も日本独特の文化です。海外の舞台にはありませんので、適当な訳語が見当たらないので、海外公演のときにはいつも苦労するそうです。

廻り舞台

舞台転換をスピーディーに行う「廻り舞台」や、人物や道具を素早く登場させる「セリ」も、歌舞伎の発明です。現在の歌舞伎座の廻り舞台は5階建のビルほどの深さがあり、自在な舞台転換が可能です。

歌舞伎の語源

歌舞伎の語源は「傾く(かぶく)」という動詞です。戦国時代末期、派手な身なりをして、斜に構えたような気風の「かぶき者」と呼ばれる人々が世間を闊歩していました。徳川幕府が成立し世の中が平和になった頃、女性芸能者の出雲阿国が「かぶき者」の様子を真似た「かぶきおどり」をはじめ、これが大流行したことが、歌舞伎の始まり。最初の記録は1603(慶長8)年とされています。「歌・舞・伎」の文字はのちの当て字なのです。

初代と二代目の團十郎

初代團十郎は「荒事(あらごと)」という、それまでの歌舞伎にはなかったジャンルを確立し、江戸一番の歌舞伎役者となりました。そしてなかなか子どもに恵まれなかった初代ですが、父祖の地にある成田不動に祈願したところ無事二代目が誕生します。後に親子で大鏡を寄進し、今でも新勝寺に残っています。

元祖才牛團十郎(国立国会図書館蔵「團十郎舞台似顔絵」より)

また1703(元禄16)年には、初の深川不動出開帳に合わせ、コラボ上演を行なっています。その時に演じた『成田山分身不動(なりたさんふんじんふどう)』では、初代團十郎が胎蔵界不動、息子九蔵(のちの二代目團十郎)が金剛界不動と、親子でお不動様を演じて評判となりました。

『成田山分身不動』挿絵の一部分(国立国会図書館蔵「元禄歌舞伎傑作集」上巻より)

二代目は71歳まで生き、「役者の氏神」と呼ばれました。現在まで人気の高い「助六」を初演した人物でもあります。

二代目大栢莚團十郎(国立国会図書館蔵「團十郎舞台似顔絵」より)

隈取について

隈取は初代と二代目が完成させた歌舞伎独特の化粧法です。紅隈(べにぐま)は正義の英雄など良い人に使われ、紅色は漲る力の象徴と言われます。また、藍色や茶色の隈は悪人や幽霊・鬼などの役に使われます。隈取には多様な種類があり、それぞれに特長があります。歌舞伎は化粧によって、役柄がひとめでわかるようになっていますので、小さいお子さんにもすぐにわかります。

左から「筋隈」「二本隈」「一本隈」  イラスト:椙村嘉一

このほか1917(大正6)年に刊行された「市川團十郎の代々」という本をもとに、十二代にわたる市川團十郎家の歴史、とくに成田市と縁の深かった七代目團十郎のエピソード、明治時代に劇聖と称えられた九代目團十郎について解説していただきました。

左:歌舞伎座内に置かれている九代目市川團十郎胸像 右:大正6年刊行「市川團十郎乃代々上巻 表紙」(国立国会図書館蔵)

オペラ座の『勧進帳』

最後の話題は、講師が実際に取材で訪れた2007(平成19)年パリオペラ座歌舞伎公演について。当時のオペラ座バレエ芸術監督ブリジット・ルフェーブルさんのインタビューを紹介していただきました。ルフェーブルさんは上演された『勧進帳』の舞台について「本能的ではなく、非常に練り上げられたエネルギーのある身振りや言葉は、字幕がなくても力が伝わります」と評価したそうです。400年の歴史を持つ歌舞伎は、世界に通じる大きな魅力を持つ伝統芸術であることがわかりました。

オペラ座で使われた定式幕 


参加者の声
〇歌舞伎の現場で働いていた講師だけにとても楽しく聴講できました。
〇あらためて歌舞伎の魅力を感じることができました。
〇裏話が面白かったです。
〇今までは、「きれい」とか「おもしろい」という観点だけで見ていましたが、これからは歴史のことも頭に入れて見ようと思いました。